101回目の卒業式

鎌田勝浩 作
2008/3/30 初稿


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III. 思わぬ展開

 生徒会室前の廊下を入り口に向かって、トボトボと歩いていく俺がいた。
「間に合わなかった……。行った時には既に、彼女は、学園のマドンナと呼ばれた高山晶は、もう帰ってしまった後だった。作戦は失敗だ。というより、試合にすらならなかった。今までこんな事はなかったのに。……やっぱり、歴史は変わってしまったんだろうか。……いったい、これからどうなってしまうんだろうか?」
 とりあえず、一度、通いなれた生徒会室に顔を出して、誰かに会いたい気分だった。もう、これから何が起こるのか、全くわからなくなってしまっていた。

 生徒会室のすぐそばまで来ると、突然扉が開いて女生徒が現れた。
「わっ!」
 驚いて思わず後ずさる。
「あっ、会長!遅いですよ。もう、来ないんじゃかと思って、帰るところだったじゃないですか」
 そう言って、ニコニコする彼女は、村野美土里、一つ下の2年生で、俺の下で働いていた元副会長だ。本当は、こいつの方が次期会長をするんじゃないかと思っていたんだが、俺が引退すると同時に、彼女も生徒会を辞めてしまった。そうそう、こいつだけは、未だに俺の事を、『会長』って呼ぶんだ。もうとっくに引退したと言うのにね。
「悪かったな、村野」
「予定では、もう来ないはずだったけど」
 そう心の中では思っていたのだが。
「どうかしたか?」
「いいんです。会長に会えたから」
 その時、一瞬、彼女の目に光る物が見えたような気がした。
 一転、ちょっと思い詰めたように、
「会長!大事なお話があります。ちょっと来てもらえますか」
 そう言い終わるや否や、美土里は俺の手首を掴み、強引にどこかへ引っ張っていく。
「どうした、どうしたんだ村野。わかった、わかったから、そんなに引っ張るなよ。おいおい……」

 屋上に至る扉を開いて、俺は美土里に引っ張られて、無人の屋上につれてこられた。
 手を離して扉を閉める美土里。
「いったい、どうしたんだ。村野」
「会長!」
 何かを訴える目をしている。

「こいつがこんな事をするのは初めてだ。確かに、若干、人よりがさつで、おしとやかさに欠けるが……。というより、女にしておくのはもったいないような、たいしたやつなんだが」
 そんな事を、息を落ち着かせている美土里を眺めながら考える。
「何もしなければ結構美人で、こんなにかわいいやつなんだけどな。……いずれにしても、こんな理不尽はした事がない。……事もないかな?何度か俺に抗議をしてきた事はあったか。……てことは、最後に何か、俺に文句があると言う事なのか?……いかん、身に覚えがありすぎる」
 観念して、俺は言った。
「村野……。いったい、どうしたんだ?……俺に何か、文句でも……あるんだろうな、やっぱり」
 すると、弱々しい声で美土里は呟いた。
「会長」
「どうしたんだ?急に弱気になったぞ?」
 そう思って見ていると、ひと呼吸おいて、落ち着いた声で語り始める。
「会長、まずはご卒業おめでとうございます」
 そう言って会釈する美土里。
「ああ、ありがとう」
 少し拍子抜けして、俺は答えた。
「会長。……会長は、卒業しちゃうんですね」
「ああ、なんとかな」
 美土里は、後ろを向いて、話し続ける。
「……今まで、会長が引退した後でも、生徒会室とか、図書室とか、会おうと思えばいつでも会えた……。大抵そのあたりにいたから、いつでも会えると思ってた」
「確かに、いつも俺はその辺りに出没していたな。……他に居場所もなかったからなんだけど」
 そんな事を考えていると、突然振り向く美土里。
「でも、昨日、気づいたんだ。会長が明日、卒業するって」
「そりゃそうだ。もっとも、俺にとっては昨日はいつの事だったか、もうわからなくなってしまったが」
 場の空気を読まずにそんな事を考えていると、それとは気付かずに下を向いて、美土里は続けた。
「当たり前で、前々からわかっていた事だけど、……気がつかなかった。会長が……卒業したら、もう今までみたいには会えなくなるんだって」
「そりゃそうだ。そりゃそうだけど、……そうか、もう、こいつとは会えなくなるのか」
 改めてそう気付いた。
 こいつ、村野美土里は、気がつくとそこに居た。俺が生徒会活動、まあ、部活動みたいなもんだが、それを始めた2年の頃、いつの間にか生徒会室に出入りしていた。いつの間にかそこに居て、いつからかそれが当たり前に思えるようになった。俺が会長になってからは、当然のようにそこにいて、いつの間にか副会長になっていた。……いや、任命したのは確かに俺なんだが、何の疑いも持たなかった。
「もう会長に会えなくなるんだって思ったら、……そしたら、急に悲しくなった。そして気づいたんだ」
 潤んだ目で俺を見つめて、そして心の声を吐き出した。
「あたし、会長が好きなんだって」
「えっ?」
 思わぬ展開に、どぎまぎする俺。えっ、こいつが、村野が俺を好きだって?そんなことって、そんなことって、……本当にあるのか?これは事実なのか?夢じゃないのか?……そんな事を考えながら、俺は彼女を見つめていた。
「会長に、会長に会えなくなるなんて、考えられない。考えたくない。絶対イヤ。だから、卒業しても、いつでも会いたいから」
 そう言って後ろを向き、背中を見せて、呟く。
「あたしと、あたしとつきあってください」
「えっ、何?なんだって?」
 その声に反応して、再びこちらを向く美土里。いつの間にか真っ赤になった顔で、
「会長、あ、あたしと、つきあってください。恋人になってください」
 そう言ったが早いか、また後ろを向いてしまう彼女。
 俺は思った。
「女の子に、こんな風に言われて、悪い気はしない。いや、普通は喜ぶだろう。実際、俺もうれしい。でも、こいつが、村野が俺を好き?俺の恋人?今ひとつピンと来ない。こいつは、村野美土里は、俺の中では女と言うより、有能な片腕、戦友、相棒だった。時に鋭い意見を言い、優れたアイデアを出し、行動力も抜群だった」
 後ろを向いて、うつむいてる彼女をみながら、考え続ける。
「いつの間にか隣に居た。それが当たり前だと思っていた。いつまでも変わらず、それが続く物だと思っていた。確かに、俺が卒業すれば、もう、そうはいかなくなるんだな」
 そんな事を考えながら、俺は彼女とのこの2年間を思い返していた。

 ※ ※ ※
 笑顔の美土里
「会長」
 ※ ※ ※
 怒った顔の美土里
「会長!」
 ※ ※ ※
 悲しそうな顔の美土里
「会長」
 ※ ※ ※
 感動に泣きながらの美土里
「会長」
 ※ ※ ※
 笑顔で
「会長」
 ※ ※ ※

 そんな沢山の美土里の顔を思い出しながら、俺は思った。
「こいつと過ごしたこの2年間。いろんな事があったけど。楽しかったな。……こいつと、美土里と会えなくなるなんて、……考えられない。俺も嫌だ」

「美土里」
そう、俺は初めて呼んだ。

「えっ?」
 驚いて、振り向く美土里。
「美土里、俺も、俺もお前と別れたくない。お前と、美土里とずっと一緒にいたい。俺も、俺もお前が、み、美土里が好きだ。いや、どうやら好きみたいだ。今まで気がつかなかったが、お前に言われて、ようやくわかった。俺の方こそ、つきあってくれ。これからも、俺の隣に居てくれ」
「会長!嬉しい!」
 そう言って、美土里は俺にしがみついてきた。俺も彼女を強く抱きしめた。

 ※ ※ ※

 しばらく抱き合った後、俺たちは我に返って、気まずく背を向け合った。その時、音がした。あの鈴の音だった。

「チリン」

「えっ、何の音?」
 そう言って美土里は俺の方を向く。
「ん?あ、そうか、この音か!」
 上着のポケットをまさぐり、鈴のついた蝶のキーホルダーを取り出し、示す。
「え、何?キーホルダー?ちょっと見せて」
 そう言い終えると、サッと自分の手に取る美土里。
「へーっ、珍しいキーホルダーだね」
 キーホルダーをじっと見ている。
「そうだっ、これ、あたしに頂戴」
「え?ま、いいけど」
「いや、違うな。これは預かっておきます。『物質(ものじち)』として、大切に預かっておきます。返して欲しければ、これからもちゃんと、あたしと付き合う事」
「何言ってるんだ。俺たち、これから付き合うんだろ」
「そうだよ。そうだけど、会長は東京で、あたしはここで、これから少なくとも1年間、別れ別れで暮らすんだよ。今までみたいに、会いたい時にいつでも、それこそ毎日でも会う事なんでできないんだよ。仕方ない事だけど、そんなの心配じゃない。不安じゃない。だから、そのための人質、ならぬ『ものじち』なの!」
 そう言う彼女の瞳には、光る物が見えた気がした。
「わかった。わかったよ。それはお前に、美土里に預けよう。その代わり、俺も条件がある」
「条件?」
「そう、条件。それでもいいか?」
「いいよ、言ってみて」
「その条件は、」
「その条件は?」
「今後、俺の事を『会長』って呼ばない事」
「えっ」
 そして恥ずかしそうに言う。
「会長は、……『会長』じゃない」
「俺はもう会長じゃない。それに、もう卒業だ」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「何でも。名前でも、とりあえず名字だっていい」
「じゃあ、……美樹会長」
「……それじゃ、同じだろ」
「あれ?そうだっけ?」
「ハハハハッ」
「ハハハハッ」
 素敵な笑顔で、彼女は笑った。そして音楽が流れてきて、エンドロール……えっ?音楽?エンドロール?何それ?。

 * * *

 気がつくと、端山はカプセル状の小部屋の中で、フルフェイスヘルメット様のものをかぶり、倒したシートに仰向けに寝るように横たわっていた。その姿は高校生のそれではない。
「ん?何だ?」
 静かにシートで上体を起こし、ヘルメットを外す。周りを見回して、
「えっ?ここは、ここはどこだ?……カプセルの中?……そうか、俺はゲームをして……」

 端山は思い出していた。
「……ちなみに、ゲーム中はゲームを十分にお楽しみいただくために、ゲームをしている事自体の記憶はなくなってしまいますのでご注意ください。ゲーム終了後、自然にもとに戻りますので、ご安心ください。……」
 説明書きには、確かこう、書いてあった。

「そうか。それで記憶が。……俺は、俺はどうしてここにいるんだっけ?ここはいったいどこ……そうか、思い出した」

 そこは、地球が眼下に小さく見える、地上から約3万5800キロ上空にある、静止衛星軌道上の宇宙港。その宇宙ステーションからは、地上へ向かって軌道エレベーターが伸びている。宇宙港からは、宇宙船が頻繁に行き来していた。

「俺は、ここ、宇宙港に来ていたんだった。これから、片道3ヶ月かけて、3ヶ月間の火星観測基地赴任の任地に向かうために」

 端山美樹は30歳になっていた。力なくヘルメットを膝の上に置くと、ため息をついた。
「せっかく、俺の夢が、火星観測基地行きが叶うと言うのに、……あいつと喧嘩して……」

「チリン」

 突然、カプセルの透明シールド状の入り口が開き始める。

 外から、聞き覚えのある懐かしい女の声が聞こえてくる。
「……この、『101回目の卒業式』は、20世紀末の日本の高校を舞台に、何度でも卒業式をやり直す事のできる、バーチャルリアリティ体感ゲームです。プレイヤーの脳に働きかける事で、舞台設定こそ、およそ百年前の世界ですが、そこで展開される物語は、ほぼプレイヤーの史実通りに展開されます、か。新婚ホヤホヤの新妻を放っておいて、しかもこれから長旅に出ると言うのに、いったい何をやっているんだか。ねっ、会長!」

「えっ?」

 カプセルに差し込む光の中に、すっかり大人の女性になった美土里の笑顔が現れた。
「お、お前。なんでここに居るんだ?」
「なんでって、見送りに来たに決まってるでしょ。いけなかった?」
 そう言って、不敵に笑う。
「い、いや、いけなくはないけど。いけなくはないけど、来るなら来るで、教えてくれれば。……いや、来てくれたんだ。喧嘩してたのに」
「そうよ。まだ新婚3ヶ月のホヤホヤなのに、いきなりだよ。いきなり一週間前になって火星行きを言い出すなんて、ひどいじゃない。おまけにそれからすぐ、準備とか言って出て行っちゃうし」
 そう言って、狭いカプセルの中に入って来て、隣に窮屈に座って続ける。
「でもね、あれから冷静になって考えたの。火星行きは、美樹の前からの夢だったよね。確かに、あんまり急で、しかも帰ってくるのが9ヶ月後なんて、長過ぎるけど、……夢が、美樹の夢が叶うんだよね。よくできた新妻としては、やっぱり夫の門出は祝わないと。そう、思ったの」
「美土里」
「だから、私も内緒で付いて来ちゃった。すぐ後ろに居たんだけど……気がつかなかった?」
 そう言って意地悪に笑う。
「そうか。……えっ、じゃあ、ずっとそばで見ていたの?」
「もちろん、そうだよ。いきなりゲームセンターに入って、ゲーム始めちゃうんだもん、びっくりした」
 とびっきりの笑顔で笑った。
「そうそう、渡したい物があるんだ。ちょっと待ってね」
 持っているバッグに手を入れて、包みを一つ取り出す。
「これこれ。ペアになっているんだって。一つあなたが持っていって」
 キーホルダーを端山に手渡す。キーホルダーは、銀製で、片方の翼だけの鳥の姿を象っている。
「これはね、『比翼の鳥』って言って、2羽で一対の翼になっていて、2羽そろわないと飛べないんだって」
 そして端山の手を握り、見つめる。
「だから、絶対、無事に帰って来るんだよ。きっとだよ」
 美土里の目にうっすらと涙が光る。
 手を握り返して、
「もちろんだよ。当たり前じゃないか」

「チリン」

「ん?何の音?」
「え?ああ、これだよ」
 バッグの中から、キーホルダー付きの財布を取り出して、端山に示す。そのキーホルダーは、あの、黄色い蝶のキーホルダーだった。薄汚れ、修理の跡もあり、少し欠けた部分もあった。
「なんだ、それ、まだ持ってたのか」
「当たり前だよ」
 キーホルダーをかざして笑顔で言った。
「これは、私の大切な物だから」

【終わり】


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鎌田勝浩
kamada@kil.co.jp
2008/3/30 初稿