伝説のデバッガー『眠りのケン』〜Undelivered message〜

鎌田勝浩 作
2005/10/16 初稿


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IV. 悲しい真実

早朝の喧噪

 翌朝。人がまばらな開発室。昨晩は泊まりの人はいなかったらしい。
 扉を開けて、篠原が入ってくる。
「篠原部長、おはようございます」
「やあ、おはよう」
 篠原、あいさつして自分の席に向かう。
 それを認めて林が、篠原に走り寄ってくる。
「あ、篠原部長、おはようございます。ちょっとお話があるんですが」
「おはよう、林君。朝っぱらから何だね」
 篠原、自分の席に着く。その席の前で、
「あの、昨日来た、山田の事なんですが」
「山田?ああ、あの山田君ね。それがどうしたんだ?まさか林君。君、覗いたんじゃ……」
 それを遮って、
「はい、気になったんで、昨日、帰る前にちょっと覗いてみたんです」
「おいおい。それで」
「そしたら、何が見えたと思います?」
「何が見えたんだい?」
「それが、何とあいつ、寝てたんです。仕事もしないで」
 それを聞いて、篠原は何か気がついた様子で、
「ふーん、そうか」と、つぶやく。
 それに気付かず、林は一人で興奮して、
「仕事もしないで寝てたんですよ。あんな奴に任せたのが間違いでした。すぐ行きましょう。行って、とっちめてやりましょう」
「まあ、まあ。林君、少し落ち着きたまえ」
「これが落ち着いていられますかっ!さ、一緒に来てください。早くっ!」
 林、篠原の手を引いて促す。
「分かった、分かったから林君。そんなに引っ張らないでくれたまえ」

 * * *

 健治が作業している小会議室。ドアの外ががやがやして来て、突然扉が開き、林と篠原が入ってくる。
 健治、会議机の席に座っている。音に気付いて振り向き、
「わっ、驚かさないでください」と、反応する。
 篠原が口火を切る。
「済まないね、山田君。ちょっとうちの林が君に話があるそうなんで来たんだが……作業の進み具合はどうだい?」
 林が何か言おうとするが、その前にすかさず、健治が答える。
「はい、私もちょうど、篠原さんや林さんをお呼びしようと思っていたところでした」
「えっ?」と、驚く林。
「実は、たった今、テストが終わって、動作確認が出来たところです。問題は解決しました」と、笑顔で言う健治。
 それを聞き、林は激高して、
「ちょっと待てよ。1週間どころか、まだ昨日の今日だぜ!なに寝言を言っているんだ……」
「まあまあ、林君。落ち着きなさい」と、篠原、そんな林をなだめつつ、健治の方を向いて、
「そうか、終わりましたか。やはりね……」
「どういう事ですか、部長!」
「まあまあ、まずは山田君の話を聞きましょう」
「……わかりました」
「あのー。お話ししても、よろしいですか?」と、遠慮がちに切り出す健治。
「そうだな。それでは、場所を変えてお話し願いましょうか」と、篠原。
「分かりました。それでは、まず、ここにソースと、新しいオブジェクトが置いてありますので、そちらでも確認していただけますか?」と、メモを渡す。篠原は、渡されたメモを林に渡して、
「じゃあ、林君、テスターを何人か集めて、動作確認を頼んでおいてくれ」と指示する。
「分かりました」
 林、メモを受け取り、部屋の電話を取って、何か話し始めた。

イースターエッグ

 昨日の中会議室。昨日と同じように、向かい合って座っている。
 篠原が切り出す。
「で、結局バグの原因は何だったんだね?」
 健治が答えて言う。
「はい、その事なんですが。その前に、一つ、お聞きしたい事があるんですが、よろしいですか?」
「構わないよ。なんだい?」
 わざとひと呼吸、間を置いて、おもむろに健治が話し始める。
「多分、ニックネーム、だと思うのですが、MIYU(エム・アイ・ワイ・ユウ)、『みゆ』って読むんだと思いますが、ご存じないでしょうか」
 篠原、林、それを聞いてはっとして顔を見合わせる。そして、林が答える。
「『みゆ』なら、多分、彼女のニックネームだと思います。うちのメインプログラマーだった、広瀬美由紀です。それが何か?」
「メインプログラマー、だった?」と、健治が尋ねる。篠原が頷いて答える。
「はい、彼女は社内でも、この林君に次ぐ位の、優秀なプログラマーでした。残念な事に、4ヶ月ほど前に、不慮の交通事故で亡くなりました」
 それを聞いて得心する健治。
「……そうですか。なるほど、それで合点がいきます」
「どういう事なんですか?」と、林が尋ねる。
「今回のバグですが、実はこれ、厳密に言えば、バグじゃないんです」
「バグじゃない?」驚いて林が聞き返す。
「はい。どうも、意図して組込まれた節があります。バグというより、厳密にはちょっと違いますが、いわばイースターエッグだった、と思えるんです」
「イースターエッグ?」
 聞き慣れない言葉に反応する林。
「プログラマーが遊び心で、本来は必要の無い機能を組み込んで、特別の手順を踏む事で、呼び出せるって言う、あれのことかな?」と、篠原。
「はい、そうです。今回の場合、トリガーとなる手順こそ、不明でしたが、比較的簡単に再現させる事が出来た訳です。これは、わざと組込まれたようなんです」
「わざと?何のために?」疑問を呈する林。
「理由、は、分かりません。ただ、状況から判断して、これはある種のメッセージだったのではないか、と思います」
「メッセージ?一体誰から?」そう言って林、はっと何かに気付く。
「はい、該当部分のソースコードのコメントの中に、巧妙に隠されて、MIYUとありましたから、恐らく、その広瀬美由紀さん、ではないかと思います」
 そう言ってから、健治は、少し意味深な顔つきで、続ける。
「意図は、不明ですが」

 突然、ノックの音がする。

「はい、どうぞ」
 篠原が返事をすると、扉が開いて声が聞こえてきた。
「失礼します。林チーフ、テストが終了しました。問題は解決して、大丈夫のようです」
「ご苦労様。もう良いよ」
 篠原が答えると、
「では、失礼します」という声が聞こえ、扉が閉まる。
「大丈夫だったようだね。山田君、ありがとう。ご苦労様」と、労う篠原。
「はい、安心しました」と、健治が返す。
 急に、林が立ち上がって言う。
「あの、大丈夫そうなので、私はこれで退出してもよろしいでしょうか」
「特に、問題が無ければ、構わないが……」と、篠原。
「では、私はこれで、失礼します」そう言って、林、慌ただしく退出する。

 * * *

「では、これで失礼します。また、何かありましたら、よろしくお願いします」
 玄関前で、篠原が見送る中、健治、一礼して玄関を出ていく。

未配達のメッセージ

 開発室の林の席。机のコンピュータに向かいディスプレイを見つめて作業をしている。
「あった。これか。……何でこれに気付かなかったんだろう」
 さらにキー操作を続ける
「……これは!何だ?URLなのか?」
 見つけたURLにアクセスする。すると突然、画面に広瀬の顔の映像が映し出される。

 画面の中の広瀬の映像がしゃべりだす。
「あ、林チーフ。林チーフですよね。これを見ているという事は、私のメッセージ、解読できたんですね。さすがはチーフですね」と言って笑顔を見せる。
 画面を見つめる林。広瀬の声を聞きつけ、周りに他の社員も集まってくる。
「実は、チーフに言いたい事があって」そこまで言ってから少しためらい、続けた。
「恥ずかしいから、ちょっとこんな小細工、しちゃいました」
 画面を見ながら少し微笑む林。
「あ、大丈夫ですよ。万一見つけられなくても、納期前にはちゃんと元に戻しておきますから……って、これを見てるってことは、その必要がなかったってことですよね。なに言ってんだか。馬鹿だなあ、アタシ」
 林、画面を見ている目が潤んでくる。
 画面の中の広瀬、少し恥ずかしがりながら、続ける。
「あの、林先輩。このプロジェクトが片付いて、全部終わったら、……あの、アタシとデートしてもらえませんか。キャー、言っちゃったぁ」
 周りからすすり泣く音が聞こえてくる。
「これ、賭けなんです。先輩がこれを見つけてくれたら、言おうって。って、もう言っちゃってる訳ですけど」
 いつの間にか林の後ろに篠原が来ていて、林の肩に手を置いた。林、それに気付いて振り向き、篠原を認める。篠原は無言で頷く。林、画面に目を戻す。
「林先輩、見つけてくれるって、信じてます。……これを見たら、プロジェクトが片付いたら、私に声をかけてくださいね。約束ですよ。待ってます。広瀬でしたっ。オシマイッ」そう言って、画面の中の広瀬、画面の方に手を伸ばし、そして映像が切れる。
 映像の再生が終わった画面を無言で見続ける林。
「林、お前が見つけてやれてたら、良かったのにな」
 後ろで篠原の優しい声がした。

エピローグ

 既に日も高くなっている街中に、ドリームウェア社から立ち去る健治がいた。手を目の前にかざして呟く。
「ちぇっ、朝日が目にしみるぜ。徹夜明けにはつらいな」

 突然、健治の携帯電話が鳴る。慌てて電話に出て、何かを話しだす。

 * * *

「部長、ところであいつ、山田って、一体何者なんですか?」
「フリーの仕事人さ。聞いたこと無いか?伝説のデバッガーの話を」
「伝説の?あ、聞いたことあります。確か、あちこちの火を噴いたプロジェクトを渡り歩いて、見事に解決してしまうと言う」
「そうそれだ」
「そして、噂では、寝ている間に仕事を済ませてしまうとか」
「そうそう。そこで、ついたあだ名が」
「眠りのケン」

 * * *

 健治、電話を切って、携帯をしまってから、伸びをして、独白。
「じゃ、もう一踏ん張り、いきますか」

【おわり】


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用語解説、コメント(3)

テスター
テスト(試験)する人、あるいはその道具。この場合、ゲームを実際にプレイしてテストする人のこと。
コメント
ソースプログラムは人工言語で書かれるが、その際に、プログラムの実行に直接関係ない、注釈(コメント)を追加することが出来る。このコメントは、人工言語にとらわれないので、普通の日本語などの日常語を使うことが可能である。
URL
Uniform Resource Locatorの略。インターネット上の各種情報の住所にあたる。例えば、http://www.site.jp/dir/file.html のように表記する。


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鎌田勝浩
kamada@kil.co.jp
2005/10/16 初稿