トライスクル

鎌田勝浩 作
2005/10/31 初稿


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V. 本気の勝負

アクシデント

 ピットに戻ると、相沢が予定より早くピットインしていた。山之内が中心になって、三輪車を調べている。相沢らは、心配そうにその様子を見つめていた。
「どうした、達也。何があった」
 奥から戻ってきた中條は、近寄って厳しく山之内に問う。
「アクシデントだ。どうも、ブレーキを使いすぎたらしく、タイヤが思ったより早く摩耗している。交換しないと、もう走れない」
 作業をしながら、山之内がそう答える。
「交換用のタイヤは無いのか?」
「いや、幸い、それは有る。念のため用意しておいたのが、役に立った。ただ……」
「どうしたんだ」
「ただ、想定外だったので、交換すると、問題が起きるんだ」
「問題?」
「うん。時間を掛ければ大丈夫なんだが、レース中にそんな時間はかけられない。そうすると、設計上、タイヤを交換すると、ブレーキが、ブレーキが利かなくなるんだ。モーターを使った回生ブレーキ以外は」
「ブレーキ、か。困ったな、それは」と、腕を組んで考え込む中條。
「まあ、停まらない訳ではないんで、何とかなる事はなるんだが、微妙なブレーキング調整が出来なくなる」
「そうすると、体重が重いと、不利だな」
「うん。それに、相沢君は、マシンをここまで何とか騙し騙し持ってくるのでかなり疲労している」
「そうすると」
 中條はそう言ってから時計を見て、続けた。
「小椋君にちょっと長く乗ってもらう必要があるか」
 二人の話を聞いていた広沢が、割り込んでくる。
「ちょっとって、まだ1時間近くも残ってるんですよ。それは無茶じゃ……」

「私、やりますっ!」
 不意に声が聞こえた。一同が振り返ると、そこにいつの間にか小椋が来ていた。
「純ちゃん、やるって言っても、まだ1時間近くも残ってるのよ。倍近い時間だわ」
 心配して広沢がそうたしなめるが、
「大丈夫です」と、小椋はきっぱりと言い切る。続けて、
「それに、ここで諦めたら、この2ヶ月間の私たちの苦労は、一体どうなるんですか!」
「純ちゃん……」

「そうだな。ここで議論している時間ももったいない」
 そう言ってから、
「……よし、とりあえず、ここは小椋にやってもらおう」と、決断する中條。

「はい!ありがとうございます、部長」と、小椋が力強く答える。
「純ちゃん、無理しなくてもいいからね。行けるとこまででいいから」
 山之内がそう言うが、
「いえ、やります。完走させてください、部長。いえ、完走しましょう。皆さん!」と、言い切る。
 一同の目が小椋に注がれた。

 中條は、皆の様子を確認すると、すかさず指示を始めた。
「ようし。そうと決まれば早速作業だ。時間がないぞ。山之内、交換作業を指揮しろ。小椋はすぐに出られるよう、準備しろ。いいなっ。掛かれっ!」
「はいっ!」
 皆の心が一つになった。

* * *

 作業が完了し、今まさに発進しようとしていた。改造三輪車には、小椋が搭乗していた。

「よし、小椋。行けるところまで行けっ!」
 そう言って、中條が小椋の背中を叩いて送り出す。
「いっ、きまーす!」
 小椋はそう叫び、力強くピットから発進していく。

挑戦

 小椋のマシンが、サーキットのコース上に戻っていく。

「純ちゃん、マシンの調子はどう?」
 小椋のヘルメット内のインカム越しに、山之内の声が聞こえてくる。
「はい、大丈夫です。なんとかなってます」
 今度は、中條の声が聞こえる。
「小椋、無理しなくても良いからな。ダメそうならいつでも戻ってこい」
「いえ、大丈夫です。完走します」
「おぐらーっ。疲れたらいつでも交代するからなーっ。安心しろーっ」
 相沢の叫び声が聞こえる。それを聞き、小椋はヘルメット内で微笑み、
「はーいっ。じゃあ、いざって時は、おまかせしまーす」と返す。
(そうはいっても、私やるよ。行けるところまで行ってやる!完走してやるんだからぁっ!)
 小椋は、心の中でそう叫んだ。

 マシンは、最初の緩い大きな右カーブに差し掛かる。
(だいぶ遅れちゃったから、挽回しなきゃ。ここは、スロットルは戻さない!)
 右に体重移動して曲がっていく。
(何だ、大丈夫じゃない。これならフルスロットルでも大丈夫)
 ストレートから、右ヘアピンカーブへ。
(流石にここは、スピードを落とさない訳にはいかないわね。でも、出来るだけ高速で回れるようにっ)
 スロットルを少し戻し、上体を被せるように、思いっきり右に体重をかける。
 すると、左後輪が一瞬、浮き上がる。
 あわてて体重の掛け方を戻して、
(きゃっ。危ない危ない。体重の掛け過ぎね)と、反省する。
 カーブを曲がりきって、
(なるほど、だんだん感覚を掴んで来たわ。次は左カーブ)
 体重を預けながら、左の急カーブを曲がっていく。

タイムトライアル

 一方、ピットでは、目の前を小椋のマシンが駆け抜けていくのを見送って、山之内がラップタイムを計っていた。
「よしっ。ええと、……なんだこりゃ」
「どうした、達也」と、中條が尋ねる。
「嘘みたいなタイムが出ている。1分7秒23だと?これは……平均時速35キロくらい出てるぞ」
 電卓で計算しながら山之内が答える。
「なにっ?」と、中條も考え始める。
「うーん、ブレーキを外したから、多少は軽くなっているとはいえ、ここまでは……」と、悩む山之内。
 思い当たって、中條が言い放つ。
「そうかっ。今まではブレーキを掛けて、エネルギーを熱にして放出して無駄にしていたんだ。それが、今は回生ブレーキしか使ってないから、減速のエネルギーが、ほとんど補助バッテリーに貯まって、そのエネルギーで直線を走るから、直線での速度が上がっているのか!」
 中條の説明に納得して、山之内も無意識に大声になって言い放つ。
「なるほど、そうかっ。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれないぞ」
 中條は、慌ててヘッドセットのマイクに向かって話し始める。
「おいっ、小椋っ。あんまり無茶するなよ。あと、タイヤの減り方にも注意しろ。もう交換できないんだからな」
「はいっ、わかりました」
 小椋の声が答えた。

* * *

 サーキットコース上では、小椋のマシンが、果敢にカーブを攻めながら、どんどんレースを消化していた。時折、何台かのリタイアマシンを横目に見ながら、順位をどんどん上げて行った。

* * *

 ピットでは、目の前を小椋が駆け抜けていくのを見送って、再度、山之内がラップタイムを計っていた。
「よしっ。ええと、……なにぃ!」
 山之内の叫びを聞きつけ、広沢が尋ねる。
「今度はどうしたのよっ!」
「59秒85だと?ついに1分を切ったぞ。こいつ、どんどん速くなってやがる」
 慌てて中條が広沢に尋ねる。
「おいっ、今、何位くらいだ?」
 それを聞き、広沢が確認作業をする。
「えーと。……なにこれ。一時は15位まで落としたのに、今はもう、16台中、6位よ」
「あと……」
 時計を見て中條が言う。
「約15分か。これは本当にひょっとすると、ひょっとするかもな」
 相沢がつぶやく。
「純ちゃん、すごい」

奇跡は起こるか?

 小椋が、サーキットコース上で戦っていた。
 山之内の声が入ってくる。
「純ちゃん、あと10分。もう少し頑張ってね」
「はい、わかりました。まだ大丈夫です。あの、いま何位くらいですか?」
「4位だ。完走が目標なんだから、余り無理するなよ、純」と、中條の声が答える。
「大丈夫です。まだまだ行けます」

(4位だから……あと3台抜けば……まずあの一台を!)
 左ヘアピンを抜けて、直線をフルスロットルで飛ばす。徐々に近づいてくる前車。緩い左カーブを曲がって、右カーブの連続。そこで勝負に行く小椋のマシン。
(そこっ、そこで抜いてやる!)
 ピット前の直線に入る最後の90度右カーブで、前車の内側に入り込んで抜き去り、直線で加速する。
(やったあ。あと2台!)

* * *

 ピットでは、山之内がラップタイムを計っている。目の前を小椋が駆け抜けていくのを見送って、
「よしっ、これで3位だ」と叫ぶ。
「あの子、本当にやるかも……」と広沢。
「いけ、いけーっ!」
 相沢が叫んだ。

最終ラップ

 コース上では、小椋を含め、現在15台が走行中だった。
「レース終了まで、あと1分です」
 アナウンスの声が、会場に響き渡る。
 そんな中で、小椋のマシンはどんどん攻めて、前車に徐々に迫っていく。

* * *

 アナウンスの声が響き渡る。
「レース終了まで、あと10秒、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0。レース終了です」
 チェッカーフラッグが振り回され、会場に花火の音が鳴り響いた。

 小椋のマシンは、ピットとはちょうど反対側のストレートの付近で、時間切れを迎えていた。マシンは、チェッカーフラッグの洗礼を受けた後、徐々にスピードを落として、ゆっくりと自らのピットへと戻っていった。

ミッションコンプリート

 ピット内では、一同は、軽い放心状態に陥っていた。

 山之内が思い出したように呟く。
「……終わった」
 その声に応えるように、相沢が叫んだ。
「終わった。完走だ!」
 相沢の声に反応して、ピット内で歓声が湧き上がる。
「やった」
「おつかれさま」
 自然と中條の付近に集まって、讃え合う部員達。

「あ、純ちゃんが帰って来たわ」
 広沢の声とともに、小椋のマシンがゆっくりとピットに戻ってきた。
 一同の歓声の中で、停止し、マシンを降りる。
「純ちゃん、お疲れさま。完走だよ」
 山之内が声をかける。
 小椋は、ヘルメットを脱いで、宣言する。
「部長、私、やりました。完走しました!」
「うん、純、よくやった。よくやった」
 そう言って、中條は何度も何度も小椋の肩を叩いている。

「あれ、なんで?なんで涙が出てくるんだろう……」
 小椋は、そう言って泣き出した。
「みんな、良くやった。良くやってくれた。ありがとう。お疲れさま」と、言いながら、やっぱり泣き出す中條。

 いつの間にか、みんな、泣きながら肩を抱き合って、讃え合っている……

 結局、完走15台中の2位で、優勝には一歩及ばなかった。しかし、堂々の2位であり、ファースティストラップ賞も受賞することとなった。マシンも身体も、ボロボロだったが、小椋ら部員達は、心地よい疲れを感じていた。

祭りのあと

 広沢所有の、ちょっと古めのミニバンタイプの車での帰途。広沢が運転し、助手席に小椋、後ろに相沢が座っている。今にも日が落ちそうな黄昏時。

「純ちゃん、翔君。今日のレース、どうだった?面白かった?」
 そう広沢が切り出す。
「はい、さとみ先輩。疲れましたけど、とっても楽しかったです」と、小椋。
「とっても感動しました。また来年も、是非とも出たいです」と、相沢。
「私も、来年も出たいです!」と、小椋が続ける。
「それは良かったわね。私もあれほど泣けるものだとは思わなかったわ」
 そう言ってから、広沢が続ける。
「でも、もう来年の話なの?」
「えっ、どういう事ですか?」
 小椋が聞き返す。
「三輪車レースは、年に一度なんですよね?」
 相沢が確認する。
「そうよ。改造三輪車耐久レースは年に一度」
 そう広沢は答えるが、次のようにも続ける。
「……だけど、これはあくまで年に一度のお祭り、新歓の延長のようなもの。それを忘れないでね」
「えっ?」
 小椋がつぶやく。
「これからが、ようやく本格的な自動車部の活動なの」
 そう答えた後、広沢は、助手席の小椋の方を向いて、微笑む。
「我らが芝大自動車部に、ようこそ」

【おわり】


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用語解説、コメント(3)

回生ブレーキ
通常のブレーキが、摩擦によって運動エネルギーを熱エネルギーに変換することでスピードを落とすタイプのブレーキであるのに対し、駆動に使っているモーターを逆に発電機として使うことで、運動エネルギーを電気エネルギーに変換するタイプのブレーキのこと。普通の自動車の場合のエンジンブレーキに相当すると考えられる。発生した電気エネルギーを蓄え、再利用することから回生ブレーキと呼ばれる。現在では、主に電車などのブレーキとして利用され、省エネルギーの技術の一つとして利用される。


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鎌田勝浩
kamada@kil.co.jp
2005/10/31 初稿