仕事

 私の仕事について、公式、非公式な内容で、簡単にご紹介しましょう。

開発時代

 大学院卒業(正しくは中退)後、故郷である北海道に本社のある、株式会社ビー・ユー・ジーに就職しました。そこでは、技術開発要員として採用され、ソフトウェアを開発する業務につきました。そこではおよそ2年半にわたり、ソフトウェアの開発を担当しました。

 一貫して担当していたのは、デザイナーのためのカンプ作成支援システムです。通常、広告などの仕事をする場合、デザイナーがクライアントに対し、カンプというラフスケッチなどの見本を示して、デザインの概略を説明します。その後、OKが出ると本格的に文字、写真などをいれた本物を作ります。その際、デザイナーとクライアントとの間の意思疎通がうまく行かず、こんなはずではなかった、という状況が発生しがちでした。

 そこで、Macintoshと当時出始めのカラーコピー機を使い、実際のイメージそのままのカンプを、デザイナーの言葉を使って手軽に出来るようにしようという企画から出来たものがこのシステムです。カラーコピー機を使って実際の写真などの画像を取り込み、Macintosh上で構成し、完成データをカラーコピー機で出力します。今でこそ、いろいろな有名なソフトウェアで実現できている機能ですが、当時は画期的なソフトでした。

 最初に担当したのが、このシステムでカラーコピー機とのやり取りをする部分でした。カラーコピー機をほとんど独占状態で、いろんなテストデータをバンバン出していました。カラーコピー機のそばで仕事をしていたため、冬でも暖かでした。

 その後、バージョンアップするということになり、また、同時に開発環境も従来のC言語からC++に変更ということになりました。わたしの担当は、今回は画像処理の主要部分を担当することとなりました。画像の拡大縮小、回転部分などの画像処理部分を当時全部で8Mバイトしか主記憶メモリを使えない状況下で、数十Mバイトの画像の処理をいかにするかということや、画像の表示を早くするために間引き画像を使っていたのですが、それをいかに少ないメモリで高速に表示させるかということに頭を悩ませました。

 その後、願い出て東京で営業の修行をさせてもらうことになり、東京に転勤となりました。

営業時代

 東京の営業部では、あまり一般には知られていない、印刷製版に関する電子処理機械のOEM先への営業を担当しました。着任早々、代理店の展示会に説明員として1週間出向いたり、大きな展示会の準備、各代理店様とのおつきあい、注文の処理など、いろいろな経験をさせていただきました。

 およそ半年位、営業部で仕事をしていましたが、ちょうどその時に出来た、メンテナンスの子会社に誘われ、そちらに移る(出向)することになりました。

サポート時代

 メンテナンス子会社(株式会社フィクス)では、主に一般向け商品のユーザーサポートを担当していました。代理店、販売店、時にはユーザー様から直接電話を受け、操作の説明、故障の判断、修理の処理の交通整理などをしていました。時には直接客先まで出向き、状況を見たり、調整したり、故障品の処理をしていました。

 その後、ネットワーク商品が相次いで発売されるようになり、わたしの担当は次第にそちらにシフトしていきました。通信(ISDN)機器の説明、接続出来ない時の相談、操作方法の教習など、電話を始め、場合によっては直接訪問しての調査も行っていました。後半では、個別の有料での設置等調査、ネットワークの構成についての相談(コンサルティング?)まで行うようになっていました。

 また、インターネットの事業に進出するということで、独自ドメイン、サーバーの立ち上げという仕事が生まれました。本業の合間に、というのも変ですが、この作業も担当していました。専用線関係の手配、サービスプロバイダーとの技術的打ち合わせ、ドメインの立ち上げに必要な各種ソフトのインストール、設定、日々の運用管理など、いわゆるWWWサーバーのコンテンツ作成以外のほとんどの管理業務を行っていました。

 この後、思うところがあって、引き継ぎ等を終え、退社しました。サポートの仕事を始めてからおよそ2年半、インターネットの仕事を始めて1年弱後のことでした。
 籍自体は変わっていないので、株式会社ビー・ユー・ジーに約5年半お世話になったことになります。会社自体は移っていませんが、実質的に2度ほど(社内)転職したような格好にも見えますね。

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