ここでは、私がかつて、使ってきたコンピュータの変遷について紹介しましょう。
最初の機械は、なんと「自作機」でした。
世の中に「マイコン」という言葉が出回り始めたころ、私はいわゆる「68系」派でした。ちょうど「8080」とか「6800」とかいうキーワードが、世の中の一部に流れ始めたころ、私はこの「マイコン」というものに触れました。小学校6年生位だったでしょうか。当時、いわゆる「HAM」少年だった私は、無線雑誌でこの新しい対象物に触れたわけです。基板のキットが出回り始めた時期でしたが、小学生に買える値段なわけがなく、高値、いや高嶺の花でした。
そんな中、見つけたのが、東京電機大の安田寿明先生の「つくる」シリーズでした。ブルーバックスの「マイコンピュータをつくる」だったでしょうか。その中で、なんとマイクロコンピュータを、部品を集めて作ってしまおうということが書いてありました。「これなら、こつこつとやっていけば(私にも)できる!」そう思い込み、5ヵ年計画位で始めようと思ったのが、中学1年くらいだったでしょうか。
最初、どこから始めたらいいかわからず、とりあえずICの本でも、と思って取り寄せたら、ICプロセスの本だったりしながらの時に出会った安田先生の本を頼りに、夏、冬の長期休み前に回路設計、部品の(秋葉原)手配をし、休みに入ったら、集中的に黙々と配線をする、というような生活が始まりました。始めは安田先生いわくの「電子ソロバン」つまり、LEDとスナップスイッチで、アドレス、データが指定できるだけの装置を作り、そこにCPU(68系ではMPUという)ボード、メモリボードと、徐々に増設する方法です。そのうち、「究極の8Bit」というキャッチフレーズで登場した「MC6809」に、元々の「MC6802」からMPUを変更したりと、若干の変更があり、オリジナルの回路になっていました。
後から考えると、同じだけの金額を積み立てていれば、後に出た「パソコン」が十分買えたようにも思います。でも、この経験が結構後に役立っているように思います。
結局、この機械は、白黒(最初は真空管式の白黒テレビの改造)のキャラクタモニタに、キーボード、カセットインターフェースを備えるまでに至りました。とはいっても大したことはできませんでした。
後に大学祭用に、RAM増設とシリアルインターフェース基板を増設して、当時まだ珍しかったパソコン通信のチャットもどきができる機械を作って展示したりしました。
しかし、引っ越しをするときに、場所をとることもあって捨ててしまいました。思い出のこもった機械でした。
ポケコン、いわゆるポケットコンピュータで、かつて流行っていた時期がありました。ポケットにはいるコンピュータ、手のひらサイズで、電卓の親玉、プログラム電卓の高性能なものとでもいいましょうか。一応フルキーボード(小さいもの)がついていて、液晶で1行から数行の表示がついていました。中にはプロッタプリンタがついていたものも見受けられました。BASICが動き、小さいながらも立派なコンピュータでした。
大学受験のため、初めて上京した私は、噂に聞く「秋葉原」駅へ初めて降り立ちました。周りが電器屋さんばかりの町に驚きながら、ここでポケットコンピュータ、「ポケコン」を初めて手にしました。思えば購入した市販のコンピュータの一番最初のものでした。これで、簡単なBASICのプログラミングを学ぶ。手軽だったので、しばらくよく使っていたが、後にパソコンを購入すると使われなくなった。今もあるが、動くかどうか不明。
[リストに戻る]MotoloraのMPUを使っているということで、この、日立製「MB-S1/10」を購入しました。大学1年の時のことです。当時、ワイヤーフレームの馬が走るというコマーシャルをやっていました。S1シリーズは、その構成により、S1/10, S1/20, S1/30, S1/40の4種類がありました。私が購入したのは、その最下位機種であるS1/10でした。これでしばらく遊んでいましたが、その後友人に譲り、次の機種へと変わります。
[リストに戻る]HITACHI S1シリーズの最上位機種で、当時近所でやっていた、科学博でのバイトの資金を使って購入しました。
この機械では、OS-9を動かしたり、メモリを増設したり、などなど、いろいろなことを行った。一番使い込んだ機械であるといえるだろう。引っ越しを期に後輩に譲る。