トライスクル

鎌田勝浩 作
2005/10/31 初稿


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I. 改造三輪車レース

スタート

 梅雨の晴れ間の筑波サーキット。2つあるコースのうちの、一周約650mのコース1000。いつものようにレースが開催され、スタートの時を待っていた。最終調整中の22台のマシンが、それぞれ1、2名のサポートメカニック達に取り巻かれて、スタート位置でレースの開始を待っていた。
 少し違うことが一つあった。普通は聞こえてくるはずのエンジン音が聞こえてこない。そう、このレースは普通のレースではない。燃料電池で発電した電気を使った電動モーターを動力に、市販三輪車を改造したマシンを使って行われる耐久レース、「第1回 電動機付き改造三輪車4時間耐久レース」である。
 三輪車というのは、いわゆる普通の子供用の三輪車で、大人のドライバーが乗ると、非常に窮屈なものであった。その小さな車体に、電動モーターを取り付け、近年小型化してきた燃料電池と、補助用のバッテーリを積み、電動で走らせようとするものであった。  各ドライバーは、2輪のレーサーと同じように、上下とも革つなぎの全身革仕様で、ヘルメットを装着していた。横に3列に並び、最後の調整をしている。

「間もなく、レース開始です。ドライバー以外はコースから出てください」
 会場アナウンスが聞こえてきた。

 芝山総合大学3年生で自動車部部長の中條哲史が、ドライバーに最後のアドバイスをする。
「小椋、時間だ。落ち着いていけ」
 そう言ってから、肩を叩き、
「大丈夫だ。お前なら出来る。じゃあな」と言って、片手を上げて挨拶し、素早く立ち去る。
「はい、中條先輩。頑張ります!」
 ドライバーで1年生の小椋純は、立ち去る中條を見送り、ヘルメットのバイザーを下ろし、
「いよいよスタートね。がんばらなくちゃ」と、意気込む。

* * *

 中條がコースから、指定のピットへ戻ってくる。
「部長、いよいよスタートですね」と、1年生の相沢翔が声をかける。
「ああ、いよいよだ」
「あの子、大丈夫だった?」
 2年生の広沢さとみが尋ねると、
「初めてにしては、落ち着いていたようだったな」と中条。
 それを聞いて、3年の山之内達也が言う。
「そうでなけりゃ、困るよな。あのマシンにはお金が掛かってるんだから。予算をオーバーしちゃったんだぜ」
「うん、そうだな。頑張ってもらわないと」
 そう言ってから、思い出して、
「……おっと、山之内、マシンとの無線、大丈夫か?確認してくれ」
「は、はい」
 無線機を操作して、山之内が確認する。
「……テレメトリーデーター……正常。あー、純ちゃん、聞こえたら返事よろしく」
 機械を通してドライバーの小椋の声が入ってくる。
「あ、はい。聞こえます。大丈夫です」
「よし、大丈夫だな」
 そう言ってから、中条、時計を見てつぶやく。
「そろそろ、だな」

* * *

 再びコース上、スタート位置。アナウンスの声がサーキットに響き渡る。
「間もなく、スタートです。スタート30秒前」
 改造三輪車にまたがり、スタートを待っていた小椋、自分を励ます。
「大丈夫、大丈夫。いままであんなに練習して来たじゃない。あんなにみんな、頑張って来たじゃない。大丈夫よ、純、私は出来る!」
 スタートシグナルが変わり、レースがスタートする。二列目真ん中付近から小椋のマシン、改造三輪車が動き出す。
「スタートしました!」
 アナウンスとともに、全車、一斉にスタートする。
 2016年、第1回 電動機付き改造三輪車4時間耐久レースが開始された。

II. 自動車部

私ですか?

 およそ2ヶ月前。桜は既に葉桜になっていた春の夕刻。芝山総合大学の自動車部部室では、十数人の部員が集まって、ミーティングをしていた。新入部員の小椋純も、その中にいた。

「えーっ、あたしですかぁ?」
 小椋の叫声が部室に響き渡る。
「そうだ、小椋、お前だ」
 中條が落ち着き払った声で答える。
「どうして私なんですか?他にもいっぱいいるじゃないですか。どうしてよりによって、私なんか……」
「お前が、一番軽いからだ」
 断言する中條。
「軽い?」
 そう小椋が聞き返すと、山之内がそれに答える。
「そう。今回のレース、『改造三輪車4時間耐久レース』は、燃料電池で発電した電気で電動モーターを回して駆動する、改造三輪車のレースだ。元々非力の上、燃料のメチルアルコールのタンクは1リットルと容量が限られている。少しでも軽い方が有利なんだ。当然、それに乗るドライバーもだ」
 やはり納得いかない小椋、畳み掛けるように続ける。
「大体、なんで三輪車なんですか?自動車部でしょ?ここ。」
「年に一度のお祭りなのよ」
 その疑問に答えて、広沢が続けて説明する。
「元々、うちの学長が数年前に授業の一環で始めたそうなんだけど。それが好評で、ついに今年から、他大学も交えて、あの筑波サーキットを借り切って大々的に行う事になったの。最近は、授業に関わり無く、サークルなどの単位でも参加できるようになってね、我が自動車部としても、当然、参加しない手はないよね」
 そのうち、段々に話に熱がこもってくる。
「……大体、本当は、私が、出たかったのよ」
 そして咳払いを一つしてから、さらに続ける。
「あなたの方が軽いから、譲ってあげたのよ。勝つためにね」
 そう言って、小椋を見つめる広沢。
 その視線を受けても、
「……でも……」と、ためらう小椋。
 そんな小椋を見て、
「小椋さん、やりましょうよ。僕も交代で乗りますから」と、後押しする相沢。
 そんなやり取りを見守っていた中條、
「小椋さん、やってくれるね」と、念押しする。
 そこまで皆に言われ、ついに折れる小椋。
「……は、はい。分かりました」
 それを確認して、
「よし。じゃあ、メカニック班とドライバー班に分けて、明日から活動開始だ。2ヶ月しかないから、時間を無駄にしないように」と、矢継ぎ早に指示を始める中條。

 班分け後、班ごとに打ち合わせが進む。
「ドライバー班は、私がリーダーよ。メカニック班がマシンを作っているうちに、体力作りと、操縦の練習をしてもらうわ」と、広沢が説明する。
「え、体力作りですか?」と、聞き返す小椋。
「そう。勝つためには体力作りが必要よ。大丈夫、別に体育会系みたいにキツくはないから」
 そこに、中條がやってきて、
「小椋君、頑張ってね」と、肩を叩いて励ます。それに驚き、緊張した面持ちで、
「は、はい。頑張ります」と、なんとか答える小椋。
 内心、 「大丈夫かなぁ。大変な事になっちゃった」と、思いながら。

作業開始

「今晩は。おつかれさまです」
 夕方、小椋が、そう言いながら部室に入って来てくる。部室では、メカニック班が、設計図を書いたり、設計図に基づいて旋盤等を使って部品を加工していた。

「あ、小椋さん、ちょっと待ってね。いま準備するから」
 小椋に気付いた広沢が、部品の紙ヤスリがけ作業の手を止めて言う。
「あれ?広沢先輩はドライバー班じゃないんですか?」
「メカニック班は人手が足りないから、手伝ってるのよ。私じゃ、大した事は出来ないけど。あと、相沢君もね」
 そう言って相沢を指差すと、「どうも」 と相沢が部品のヤスリがけの手を止めて会釈する。
「あ、じゃ、私も何か……」と、小椋は慌てて何かしようとすると、
「いや、小椋さん、それは良いわ。あなたはトレーニングの方が先決ね。どうせ大した助けにもならないでしょうし」
 そう言って手早く手元を片付けて、立ち上がる広沢。
「じゃ、行きましょうか」
 そう言ってから振り返り、
「相沢君、一段落ついたら、来てちょうだい」
「はい、分かりました、先輩」
 相沢の返事を確認してから、広沢、小椋を連れて部室を出て行く。

* * *

「部長、予算を使い過ぎです。少し、節約してもらわないと……」
 そう、会計担当の山之内が部長の中條に進言するが、中條は、
「うーん。困ったな。でも、必要な物は買わなきゃならないし……。達也、何とかしてくれ。頼りにしてるよ」と、ひょうひょうとして取り合わず、肩を叩いていつものように立ち去っていった。
 そんな中條を見送りながら、
「本当に、哲史には困ったもんだ。さあて、どうするかな……」と、頭をかく。

* * *

「部長、こんなもんでどうですか?」と、相沢は、手に持った部品を示す。
「うん、そうだな。こんなもんかな?寸法は大丈夫だよね?」
 そう中條が確かめると、
「はい、何度も確認しました」と相沢。
「じゃあ、向こうのチームに渡して、組み立ててみてくれ」
 そう言って、指差し示す中條。

* * *

「凄い!単なる三輪車が、こんな風になるんですね」
 組み上がった改造三輪車を見て、小椋が興奮気味に言う。
 まだ仮組みだが、三輪車の後輪部にモーターが付き、座席裏には燃料電池ユニットがついている。後部には補助バッテリー、その他制御機械や燃料タンクがある。ほぼ完成形態に近づいてきていた。

「よし、回してみろ」
 中條が指示する。三輪車を台に乗せ、後輪部を浮かせる。スロットルを回し、起動する。すると、モーターが静かに回転を始める。
「わーっ、回った、回った」
 相沢が無邪気にはしゃぐが、
「静かにッ!」と、中條が制し、スロットルを動かしながら、モーター音を聞いている。
 しばらくして、
「何か、変な音がしないか?」
 そう山之内が指摘すると、
「やっぱりそうか」
 そう中條は応じ、続けて指示した。
「よし、止めろ。開けて調べてみるぞ」

テスト走行

 学内の駐車場では、完成した改造三輪車のテスト走行をしようとしていた。場所を借りて駐車車両をどけてもらい、広い場所を確保していた。

「じゃ、テスト走行を始めるぞ」
 そう中條が宣言する。
「純ちゃん、準備はいいかい?」と、山之内が小椋に声をかけると、
「はい、準備オッケーです」と、手を振って答える。
 そう言ってから、小椋は、おもむろに改造三輪車にまたがる。長袖シャツにジーンズ、運動靴という、身軽な服装だ。念のため、バイク用の革手袋を装着している。
 しかし、内心では、
「でも、何とかならないかな、この体勢は。ちょっと恥ずかしいよう」と、感じる小椋であった。

「じゃ、小椋さん、始めようか。スタート」
 中條がそう言って、テスト走行を開始する。
「スタートします」
 小椋はそう言ってからスロットルをゆっくりひねる。すると、三輪車はゆっくりと動き始めた。電動なので、前輪部のペダルをこぐ訳ではない。ペダルの代わりに、水平に金属棒が伸びており、そこに足を掛けている状態である。
「動いた、動いたよ」
 動き出した三輪車にまたがって、小椋はそう心の中で叫んだ。
「動いた、動いた!」と、相沢が叫ぶ。
 改造三輪車の起動を確認した中條は、指示を続ける。
「よし、じゃあそのまま真っすぐ進んで」
「は、はい」
 小椋は、更にスロットルをひねる。すると、三輪車は、さらに加速して進んでいく。

 テストコースの角に立って、コース指示をする広沢。
「はい、小椋さん、そこで右に回って」
「は、はい」
 小椋、指示通りハンドルを右に切って回る。
「よし、じゃあ、次は左に回って」と、続けて指示する中條。
「は、はい」
 ハンドルを左に切って曲がろうとする小椋。だが、何かおかしい。
「え、曲がらない?」
「純ちゃん、もっと切って!」と、山之内が慌てて叫ぶ。
「は、はい」
 小椋が力を入れてハンドルを切ると、なんとか左に回った。
 その状況を確認し、中條が指示を出した。
「よし、わかった。もういいから、止まって」
 小椋は、それを聞いて、
「は、はい」と、答えるが、すぐに、
「え?どうすればいいんですか?」と、戸惑う。
「スロットルを戻せ!戻すんだ!」と叫ぶ広沢。
「戻してます。戻してますけど、止まりません!」
「なにっ!」と相沢が叫ぶ。
 中條は、この事態に接し、決断して叫んだ。
「よしっ。みんな、手を貸せっ。三輪車を止めるぞ」
 中條以下数名は、この声に呼応して、三輪車の進路を塞ぎ、体で止めるべく、突進した。

* * *

 小椋は、建物の入り口の階段に座っていた。山之内以下数名は、改造三輪車を調べている。

「どうだ、山之内、何か分かったか」
 そう中條が山之内に尋ねる。
「うーん、ダメですね。幾つか問題点が見つかりました。これは最悪、設計変更を含めて、手直しが必要そうです。またお金が掛かりそうで、頭が痛いですよ」と、山之内がぼやく。
 それを聞いて中條は、頭を抱えて悩み、
「うーん、痛いな。あと3週間で何とかなりそうか?」と、山之内に相談する。
「うーん。何とかなるとは思いますが……いろんな意味で厳しいですね」と現実を告げると、
「よーし、大会までに、何とかみんなで間に合わすぞっ!」と、空元気で中條は無茶を言う。
「おーっ」と、部員一同、少し脱力した声をあげた。

「よし。部室に戻るぞ」
 中條がそう宣言し、部員一同、三輪車と共に移動を始める。
 中條は、ふと振り返り、まだ座っていた小椋の方に近づいて話しかける。
「小椋君、大丈夫?少しは落ち着いた?」
 急に話しかけられ、驚いた小椋は、立ち上がって、
「は、はい。もう、大丈夫です」と、びっくりして答える。
「ごめんね、びっくりさせて」と、中條は、事故のことを詫びるが、小椋は、恥ずかしそうに、
「い、いえ……」と、答えるのが精一杯であった。
「でも、おかげで問題点がはっきりしたよ。これさえ直せば、レースに出られる」
 中條は、そう言ってから、笑顔で続ける。
「……君のおかげだよ、ありがとう」
「い、いえ……。お役に立てればうれしいです」
 突然のことで、戸惑うばかりの小椋。それには気付かず、
「じゃ、部室に戻ろうか」と、続ける中條。
「は、はい」
 そう言って、歩き出す2人。そんな2人を前方で振り返って、見つめている広沢がいた。


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用語解説、コメント(1)

燃料電池
水に直流電圧をかけて、水素と酸素に電気分解することの逆反応で、水素と酸素を反応させて水と電気を作る装置。電池という名前がついているが、むしろ発電機である。大気中にはふんだんに酸素が存在することから、水素をどのように得るかによって、いくつかの方式が存在する。ここでは、メチルアルコールを分解して水素を得る方式の燃料電池を使っている。そのため、燃料としてメチルアルコールを使うことになる。2005年現在では、まだまだわずかな発電容量のものしか存在しないが、約10年後の2016年の物語世界では、三輪車を駆動する程度の燃料電池は実用化されているものとして想定している。
テレメトリーデーター
無線を使って遠隔地の機器等のデータを得る装置。ここでは、改造三輪車の各種データを、ピットにいながら監視できるようにするための装置。


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鎌田勝浩
kamada@kil.co.jp
2005/10/31 初稿